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レダと白鳥と「女が悪い」言説──『MEN 同じ顔の男たち』感想

エクス・マキナ』のアレックス・ガーランド監督、『Men 同じ顔の男たち』を見た。ネタバレあり。

 

ジェシー・バックリー演じる女性ハーパーは、とある郊外の館をひとり訪れる。モラハラ気味の旦那(カニエ・ウェスト似)が目の前で飛び降りて死んでしまったことがトラウマで、奮発して田舎町でゆっくりすることを決めたのだった。屋敷の主人はすこし田舎者で気味が悪いが、閑静な近隣もちいさなグランドピアノのあるうつくしい屋敷も気に入ったハーパー。しかし、全裸の男の乱入をきっかけに畳みかけるように奇妙な男たちがハーパーを襲う…。

 

・まあ『エクス・マキナ』のアレックス・ガーランドだし、タイトルがMenだしでフェミニズム的な主題があるのは予想していたけど、終わってみると正直どうとらえていいのか困惑した。確かに、女性にとって男性なんてこんなもの、という言い方はできるものの、どちらかというとハーパーの自己の後悔とそれを乗り越える物語として見た方が私にとってはしっくりくる。いや、勿論その経験は女性であることとは切り離せないものなのだけど。でもハーパーが男たちから聞く言葉は完全に外部から投げかけられたものではなく彼女が一度なりとも考えたことだろうし(それ自体が外的な規範の内面化なのだろうけど)、ハーパーのやったことの痕跡はしっかりといつまでも残る。憑りつかれた苦悩する内面を映画の世界に反映させつつ因果を背負うジェシー・バックリーはある意味でわたしのヒーローなのだ(が、これは伝わらなくてもいい(と思いつつ書いている))。ジェシー・バックリーパラノイア映画というジャンルがあるとして、しかしそのパラノイアは単に妄想とは切り捨てられない、という感じ。

 

・回想での夫との会話シーン。180度ラインを無視した、横顔が同じ方向を向く切り返し。ハーパーと夫のすれ違いを見せるとともに、横顔は鳥なんだ、と思ったらそのあとで鳥のモチーフがでてきたのでよっしゃーと思った。ヒッチコックのサイコみたいな。柵に刺さった夫の死に方ははやにえを思わせるので、最初ハーパーが鳥のイメージだと思ったが、途中司祭がイェイツの「レダと白鳥」を引用するその中でperpetratorなのは鳥でありゼウス、つまり男の側である。

 

・ゼウスが少女レダをレイプし孕ませたあと、そこから破壊と混沌が産まれる。作中で引用されていたのがこのスタンザ、“A shudder in the loins engenders there/The broken wall, the burning roof and tower/And Agamemnon dead.”

レダは絶世の美女ヘレンを産み、彼女の美しさがトロイア戦争の原因となる、とされる。つまり、アガメムノンが戦場でむごく死んだのも、国が荒廃したのも、すべて女が悪いというわけである。

 

・とここまで書いて、やっぱりMenは「ぜんぶ女が悪い」に抵抗する映画であるといえると思った。男がMenであるうちは、Man/Womanの対話もできない。終盤の例のシーンはイェイツの詩の映像化である。ハーパーは、自分自身内面化してもいる「女が悪い」の様々かつ実は同一の言説・テクストを、皆別様でありかつ同じ顔をした男たちを通して浴びせられる。最後にハーパーが浮かべる笑みは、彼女の勝利を意味するのだと思った。