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フェミニズム映画としてはあんまり上手くないのではーー『ガンパウダー・ミルクシェイク』感想

※ネタバレあり

 

カレン・ギラン主演のガールズアクション。カレン・ギラン演じるサムは、娘の元から姿を消した母スカーレット(レナ・ヘディ)の後ろ姿を追いかけるように、ファームという男たちの組織の中で駒として人を殺して生きている。ファームの金を盗んで逃げた会計士を追えという指令をうけ男を撃つのだが、彼は誘拐された娘のために金が必要だった。自分と似た境遇の8歳の女の子を助けるために、サムは再会した母や、「司書たち」の助けを借りて、この戦いを切り抜けようとする。

 

ジョン・ウィックももはやジャンルなんだと思わされるような裏社会の殺し屋が武器を集めてひたすら敵を返り討ちにする話。子供を守りながら戦うのや、さらにここが重要なのですが、既存のジャンルを女性キャラでやり直そうという姿勢は『ハーレイ・クインの華麗なる逆襲』や『チャーリーズ・エンジェル』に通じる軽快さとエンパワメントを感じる。のだけど、これはこの二つよりも面白くなかった。

 

・本は読んだ方がいい

映画『ガンパウダー・ミルクシェイク』予告編|3.18(fri)全国公開 - YouTube

 

予告にもあるが、図書館はサムたちに武器を提供する場になっている。銃を取り出すのはジェイン・オースティンヴァージニア・ウルフ、予告にはないがシャーロット・ブロンテといったイギリスの女性作家。これはサムの母スカーレットがイギリス人なのが理由だと思うが、脈絡がない。フェミニズムに興味があって文学に興味があれば誰でもあっとなる名前だけど、あっとなって、それで終わりだったのが残念。

女性作家の本から武器を得るというメタフォリカルな意味もわかるのだけど、ウルフは反戦を主張した作家だし、なにより本をくり抜いて銃を入れているのが気に入らない。本は読んだ方がいい。それよりも、男性作家による主流の作品から取り出すことにした方が、男性優位の構造の中でその権力を盗み自分のものとする女たちが書けるし、男性中心的なキャノンは読まなくてもいいと宣言することにもなるのでは。(本当は読んだ方がいいと思うけど、「読まなくてもいい」の態度はこの映画に合うと思う)

アガサ・クリスティだけじゃなく、ウルフもオースティンも読んだ方がいいと思う。

 

・マデリンとフローレンス、スカーレットとアナ・メイの関係について

スカーレットを演じたレナ・ヘディとアナ・メイを演じたアンジェラ・バセットは、二人の関係について話し合っていて、レナ・ヘディは二人が「確実に関係があった」「少しばかり傷ついた恋人たちにみえるように、ふたりのあいだに緊張があるべき」と思っていたといっている。(https://www.denofgeek.com/movies/the-queerness-of-gunpowder-milkshake/?amp)

同様に、ミシェル・ヨー演じるフローレンスがマデリンに囁くシーンについても、監督は同じ記事で「絶対に何かがあった」と言っており、長年積み上げてきた二人の関係を、この短い親密なシーンで表そうとしているのがわかる。仄めかすだけというよりは、短いシーンだけど前面に出そうとしている。少なくとも監督のナヴォット・パプシャドの言葉ではそうだ。

しかしそれがどれだけ観客に伝わっているかは疑問だ。彼女たちの親密さは、「クスクス笑う姉妹たち」の親密さとして回収されてしまっているように見えてならない。

 

シスターフッド

クライマックスのダイナーのシーンで、エミリーを救うため、サムはマック・アリスターと対面する。そこでこの男が自分はフェミニストだと自称し、「娘が産まれて嬉しかった、しかしたくさん娘が産まれて家の中でクスクスと騒ぐようになると、女は理解できないと思った。息子が生まれ、息子のことは理解できた」などと話す。こいつの話してることは単なるホモソーシャルから離れたくないよ〜の赤ちゃんの泣き声だから無視していいとして、しかしサムたちがやってるのは、男を殺して家をこのクスクス笑いで満たすことだ。

最後にエミリーが、サムの面倒を見、さらに言えば長年にわたって利用していた男ネイサンのもとを訪ね、脅すシーンがある。そこでエミリーが持っているのは若草物語。序盤に出てきた作家がみなイギリス作家だったのと比較すると、ここでアメリカの作家を持ち出したのは意図的だろう。ラストのロードムービーっぽいカットにボブディランの音楽というのも。それになにより、オースティンの「高慢と偏見」同様、若草物語は姉妹の話だ。

高慢と偏見も、若草物語も、姉妹たちはクスクスしてるだけじゃない。今よりもさらに女の選択肢が限られている中で、結婚や出産といったイベントに翻弄されている。さらにブロンテもウルフにも姉妹がいるし、男の兄弟と同じ教育が受けられなかったという話も聞いたことがある。サムたちが、さまざまな世代が集まった家族であるのと同時に、姉妹でもあるのには意味がある。

なんだけど、この辺の要素がいまいち調和していないように感じる。もちろんシスターフッドのなかには親子の間の愛も、レズビアンの性愛も、レズビアンなのか明言されない「何か」も含まれるだろう。シスターフッドが連帯して男たちの支配に立ち向かう女同士の絆を言い表すとすればこの映画はまさしくシスターフッドだしフェミニズムだと思う。だけど、それがあまりうまく描けてるとは思わない。家の中を女の子のクスクス笑いで満たしたからといって、何かが改善されることはない。それ自体はいいことだし、見るのは楽しいけど、それで終わりになってしまう。

とはいえアクションシーンはもっさりしていたけど面白く、特に病院での両者とも満身創痍ななかでの泥沼アクションはよかった。銃を持つレナ・ヘディや鎖を持つミシェル・ヨーもかっこいい。かっこいい女たちのタランティーノみたいな血みどろアクション(ちょっともっさりはしてる)目当てなら、満足できる映画ではある。